沿革・生い立ち
昭和23年 3月
ユニオン電気商会 創業
ユニオンの意味
昭和23年3月1日、岐阜市千石町一ノ九に「ユニオン電気商会」を設立。社名のユニオンは英単語のUnionからとった。
『新クラウン英和辞典(三省堂)』によると、ユニオンの単語には、労働組合や政党、グループがよく使うように「連合」「合同」「同盟」という意味が一般的だが、「和合」「致」という意味もある。『live in perfect union』は『仲良く生活する』と解釈される。
ユニオン電気商会の命名について、創設者である源平は、兄弟仲良く力を合わせて、事業を育て、大きくしてゆく、そんな願いを込めたのである。そして、このユニオンの名称は、その先の株式会社化など社名変更の中でも常に頭に冠され、満六十年を経た今日でもユニオンテック株式会社として生き続け、東海クラリオンと共に"ユニオン・グループ"として発展を続けている。
売れた「停電灯」
ユニオン電気商会の創業時のヒット商品に「停電灯」がある。
構造は至って簡単で、小さなバッテリーに飛行機用の充電型電池を取り付け、豆電球に接続して光源にする仕組みである。停電になったら、この「停電灯」のスイッチを入れればよいわけで、特に夜間の停電には威力を発揮し、飛ぶように売れたという。
昭和28年 3月
ユニオン電気株式会社に組織変更
ユニオン電気株式会社へ
創業以来、五年一ヶ月たった昭和二十八年三月三十日、これまでユニオン電気商会の事業をすべて継承し、『ユニオン電気株式会社』と呼称を改め、組織変更し、資本金百五十万円で発足した。初代社長は源平、専務取締役には弟二郎が就任した。
日本経済が低迷から立ち直った昭和二十八年初め、源平は、この経済好転の機会を逃す手はないと決心し、二十三年三月創業以来、個人経営だったユニオン電気商会の株式会社化に着手した。株式会社組織に変更することによって社会的な信用を増し、社長以下の役員の職務分担に伴って責任の所在が明確となり、事業を推進するうえでメリットは大きい、と考えたからである。
昭和35年 4月
ユニオン電気株式会社 空調課 新設
空調設備へ進出。クーラー受注第一号
ちょうどユニオン電気が家庭電化製品の小売業から撤退した頃、一つの耳よりな話が飛び込んできた。業務用クーラーを取り扱わないかという話だ。メーカーはダイキン工業株式会社であった。
昭和三十五年十月十六日、ダイキン工業製品の『水冷ヒートポンプ式パッケージエアコン』を岐阜信用金庫忠節支店へ納入した。ユニオン電気が取り扱ったエアコン第一号であった。
昭和37年 10月
本社 新築ビル完成(岐阜市千石町)
昭和45年 5月
岐阜県知事一般建設業許可取得(管工事)
昭和46年 8月
冷暖房部 新設
ユニオン電気に冷暖房部を新設
ダイキン工業製品を中心とした空調設備部門の業績が向上、業務も拡大するのに伴い、昭和四十六年三月、岐阜市千石町一ノ九の本社ビルにダイキン製品ショールームを開設し、ついで同年八月一日に社内の組織変更を行い、ユニオン電気・冷暖房部を新設、体制を強化して業務の拡充を図ることになった。
365日24時間体制で緊急サービスできたことが、多くの顧客にとって、ユニオン電気の信頼と安心をイメージづけていた。
昭和47年 4月
冷暖房部 岐阜市山吹町に移転
昭和48年 8月
20周年(創業25周年)記念行事開催
昭和52年 4月
冷暖房部 岐阜市中鶉に移転
昭和58年 3月
ユニオン設備工業株式会社設立
ユニオン設備工業株式会社の設立
昭和58年3月1日、ユニオン電気株式会社の冷暖房部門を事業分割し、資本金五千万円で『ユニオン設備工業株式会社』を設立した。
冷暖房部の社員が苦労して成約に漕ぎつけ、業務用エアコンや冷凍機を販売しても、ただ単に製品をメーカーから仕入れて、右から左へと販売しているだけでは利益が薄く、それだけに業績に反映しないということである。
源平は考えに考えた末に一設備工事の部門を補強し、製品を売ったら設備工事によって付加価値をつけるという結論に達した。
設備工事に関係する国家試験の資格を、法人として会社も、そして仕事に従事する社員も可能な限り取得しなければならない。まず全社員の意識改革を図るため、社名の変更に着手したのだ。
昭和61年 11月
岐阜県知事特定建設業許可取得(管工事)
平成4年 4月
ユニオン設備工業株式会社 本社 新築
平成5年 5月
岐阜市長感謝状(岐阜市立養護学校)
平成7年 5月
ユニオン電気株式会社・ユニオン設備工業株式会社・合資会社安部工業所合併により
ユニオンテック株式会社へ社名変更 資本金一億円
ユニオンテック株式会社の誕生
平成7年5月1日、ユニオン設備工業は、ユニオン電気、資産保有会社であった合資会社安部工業所を合併し、商号を『ユニオンテック株式会社』とした。
クラリオンの代理店として、東海三県では確固たる地位を築き上げていた名古屋クラリオン、ユニオン電気であったが、一つの会社が、愛知、岐阜、三重の各県を担当するのではなく、総合的な指揮系統の確立のために、それらの事業領域の再編を行った。
岐阜県内の活動はユニオン電気が担当していたが、昭和55年に音響部門を事業分割してクラリオン岐阜販売株式会社(本社=岐阜市千石町二ノ一)を設立、平成6年3月にユニオン電気に合併するまで活動した。その事業は今、ユニオンテックに継続されている。
平成7年 7月
岐阜県知事感謝状(岐阜県図書館)
平成8年 3月
ユニオンテック株式会社 名古屋支店 開設(中区正木)
名古屋支店開設
平成8年 東海地方の中心都市である名古屋市に新たな活動の拠点を作ることを計画、同年9月5日に同市中区正木町に『東海ユニオンビル』の起工式を挙行した。
ビルの名前は東海クラリオンとユニオンテックの両社にちなむもので、平成10年4月2日に竣工した。
ビルは地下2階、地上7階建て、延べ面積4,230㎡の堂々とした建物が出来上がった。
平成8年 7月
建設業 建設大臣許可(管工事他)※現 国土交通大臣
平成10年 1月
TUCグループ50周年記念 社員オーストラリア旅行
50周年記念式典 挙行
役員会より創業50周年を記念し「全社員で海外旅行」という一大イベントの提案があった。それに対し、「オーストラリアなら多くの社員も喜ぶのではないか」と源平は快諾をし、総勢100名以上に及ぶユニオンテック、東海クラリオン合同でのオーストラリアへの海外旅行が実現した。
オーストラリアの美しい自然と豊かな文化を体験しながら社員同士の絆を強め、次の創業75周年に向けてまた新たな一歩を踏み出した。
平成11年 6月
岐阜県知事感謝状(防災交流センター)
平成12年 3月
ユニオンテック株式会社 本社 増築
ユニオンテック株式会社本社 増築
平成11年 社員増加に伴い、本社の増築工事が行われた。
既存の1階倉庫を再建し、その上に2階と3階の新しい事務所を増築する工事を行い、空調設備、換気設備、給排水設備、消火設備、電気設備工事の管理を自社の社員が担当した。
また、既設部分の社長室・応接室の改修や外壁工事も行い、見違えるほど綺麗になった。
平成16年 6月
岐阜県知事感謝状(岐阜市立養護学校小中学校部)
平成17年 10月
第43回技能五輪全国大会(冷凍技能) 優勝
技能五輪全国大会金賞
第43回技能五輪全国大会が山口県で開催され、岐阜県を代表し冷凍技術部門でユニオンテックの社員が出場した。この競技では、内径1.5ミリから35ミリまでのさまざまな太さの銅配管を使ったフロンガス冷媒配管設備を加工するという高度な技術を競うものであった。
この難題に向き合い、大会前には徹夜も辞さない努力を重ねた成果もあり、金賞(優勝)の栄冠を手にした。この快挙は中日新聞、岐阜新聞、建通新聞にも取り上げられ、ユニオンテックの技術力の高さが多くの人々に知れ渡る結果となった。
平成20年 8月
岐阜県子育て支援企業登録
平成23年 5月
感謝状(県立武儀高等学校)
平成23年 12月
代表取締役に安部源太郎が就任
代表取締役に安部源太郎が就任
2011年3月に発生した東日本大震災により日本経済は大きな影響を受け、各企業は多くの問題をそれぞれの創意工夫によって乗り切ることを迫られた。
環境の変化に機敏に対応できる安定した経営基盤を構築し、強い競争力とさらに体力のある企業となり次世代へ繋がる改革を求められ、安部源太郎(当時45歳)が同年12月19日代表取締役社長に就任した。
平成24年 12月
ダイキン工業㈱永年優良特約店表彰50 年の部
平成26年 4月
岐阜市医師会感謝状(岐阜市医師会会館)
平成30年 3月
岐阜市長感謝状(岐阜南消防署)
平成30年 9月
岐阜県ワーク・ライフ・バランス推進企業 登録
平成30年 11月
ぎふ建設人材育成リーディング企業(シルバーランク)認定
令和2年7月
関ケ原古戦場ビジターセンター機械設備工事
令和3年3月
岐阜市新庁舎機械設備工事
令和3年 4月
岐阜市長感謝状(岐阜市新庁舎)
令和3年 11月
ぎふ建設人材育成リーディング企業(ゴールドランク)認定
岐阜県公共建築課長表彰状(岐阜関ケ原古戦場記念館)
令和4年 3月
新はつらつ職場づくり宣言事業場登録
令和4年 11月
卓越技能者 岐阜県知事表彰
令和5年2月
柳ヶ瀬グラッスル35(ウゴクテ、ツナグテ)機械設備工事
令和5年 3月
ぎふ健康経営認定事業所(A ランク)認定
令和5年 4月
清流の国ぎふ健康経営宣言企業登録
協会けんぽと健康宣言
令和5年 10月
TUCグループ創業75周年記念行事 挙行
TUCグループ創業75周年記念行事 挙行
75周年の記念行事としてハワイ旅行を計画していたが、2020年に発生した新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の大流行により、物流、人流が停滞し白紙となった。
ようやく落ち着いた頃には過度な円安によってやむなくハワイから行き先の変更を余儀なくされたが、諸先輩方の英知と情熱に深く感謝し、飛躍した100周年を迎えられるよう記念テーマを「平和」として、盛大に執り行いたいという強い思いから沖縄旅行に決定した。
令和6年 3月
健康経営優良法人2024 認定